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山猿

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三谷将之引退

第62代日本バンタム級王者・三谷将之(高砂)が13日,右目網膜剥離により引退を表明しました。通算戦績26戦23勝(10KO)3敗。24歳,志半ばに,まだ若すぎるあまりに切ない引退です。
今年7月6日,高砂市総合体育館で池原信遂(大阪帝拳)との世界ランカー同士のサバイバルマッチに6回負傷判定勝ち。その翌日に飛蚊症を覚え,一旦は症状が消えたものの,7月15日に再発する。右目の視界を完全に失い,診断の結果は網膜剥離。18日には加古川市民病院で手術を行いました。手術は成功,8月1日には退院。視力は1・0まで回復しました。
JBCの姿勢としては,現在においても一度でも網膜剥離にかかった選手のリング復帰を認めていません。ただし,辰吉丈一郎だけが例外で「世界戦もしくはそれに準ずる試合」である時に限って国内のリングに立つことを可能としてきました。

もう一度できるのではないか。病院のベッドで眠れない夜を過ごし,悩み抜き,下した引退の決断。
運命は残酷です。中学二年生から人生のすべてを賭けてきたボクシングへの夢を必死に断ち切ろうとしていた時,10月29日(日本時間30日)にパナマシティでロリー松下(カシミ/比国)の挑戦を退けたWBA世界バンタム級王者アンセルモ・モレノ(パナマ)陣営から次期挑戦者としてのオファーが舞い込みます。12月28日,高砂市総合体育館での試合が浮上する。ずっと夢見てきた,でも諦めるしかなかった世界戦の舞台が目の前に霞んでありました。
症状を隠して試合を強行するという選択肢も当然,頭を過ったことでしょう。しかし,勇気を持って引退の道を選んだ決断は,他人が何と言おうと気休めにもなりませんが,完全に正しいものだと言ってあげたい。
「もちろん世界戦はやりたかったです。世界チャンピオンになることを夢にやってきました。だけど,タイトルをやることが目的ではなかった。この先もずっとボクシングをやりたかった。一回ポッキリの世界戦やったら…」
これも男の美学です。
ジム設立から二人三脚で歩んできた高砂ジム・山下忠則会長の組む一切の“噛ませ”なしの試合。時代に迎合することに敢えて背くかの如く強硬路線を突き進む師弟の生き様は,痛々しいほどの不器用さと悲壮感を背負いながらも,これ以上ないほどの潔さと美しさに包まれていました。
「息子みたいなものやから。一番の思い出が何なのかわからない。全試合,全部憶えているから。中学二年で初めて練習に来た時はもやしっ子で栄養失調になってしまうんやないかと思った。でも,練習に来ないことなんて一度もなかった。音を上げることはなかった。よう辛抱してくれた。他の子にはタイプに合わせて勝たさなアカン試合やったら弱いのを呼ぶこともある。でもこいつにはバンタムで一番強いと証明せえってやらせよったから。世界獲って全団体統一してやれって…」
あれほど厳しかった師匠が一番弟子に贈る愛情に包まれた言葉。高砂ジムのひとつの物語が今,幕を下ろしました。
「本当に俺はボクシング一本でやってきたから。ボクシングのない人生が想像つきません。本当にボクシングが好きやし,辞めたいと思ったことは一度もなかったです。初めて悩んだのがこの引退でした」
今後はジムの手伝いをしながら新たな道を探すという。三谷将之の第二の人生に幸あれと心から願うばかりです。おつかれさまでした。
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by the_leaping_hare | 2008-12-14 05:00 | Box
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