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山猿

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生チョコ苺

暖かくなったので「雪見だいふく 生チョコストロベリー」を食べました。
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# by the_leaping_hare | 2011-03-02 21:52 | Food

咲くラガー

キリンの「咲くラガー」です。桜模様の花見缶。3月になりました。
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# by the_leaping_hare | 2011-03-01 13:06 | Food

エディとチャンプ

28日1時45分から関テレ(フジ系)で「エディとチャンプ〜老トレーナーの熱い闘い〜」という番組がたぶん関西地区だけでしょうが再放送されていました。
エディとは日本で6人の世界王者を育てた米国人トレーナーのエドワード・タウンゼント氏であり、チャンプ(番組中では「少年」という呼称が使われる)とはエディ最後の弟子である現井岡ジム会長・井岡弘樹氏のこと。

番組は87年11月21日に放送されたもの。井岡は同年10月18日、東大阪市の近畿大学記念会館でマイ・トンブリフラム(タイ)との決定戦を制し、新設のWBC世界ストロー級王座を獲得しました。現在も破られていない18歳9ヶ月での国内最年少記録、当時国内最短の9戦目での世界王座獲得でした。番組はこの一戦に向かう、18歳のボクサーと73歳のトレーナーの姿を追ったドキュメンタリーです。過去の映像やふたりの経歴等の説明はほとんどなく、試合のシーンをも含めて87年の「エディとチャンプ」だけを映し出します。
24年の時を経て、この王座を甥の井岡一翔が“奪還”したからでしょうか。このタイミングでの再放送。貴重な映像、もちろん録画しました。

井岡が世界王者になり、東京・中野本町の自宅に帰ったエディが入院したことを伝えて番組は終わります。エディは既に末期の直腸癌に蝕まれていましたが、極度の疲労で入院したということになっています。当時、病状を知らされている人が限られていたからだと思われます。
翌88年1月31日、大阪城ホールでの井岡の初防衛戦。迎える挑戦者は同級1位でIBF王者でもある李敬淵(韓国)。寝たきり状態の中、試合に向かったエディは開始直前に意識を失い緊急搬送されます。そして井岡は魂の最終回TKO勝ち。病院に駆けつけた井岡が勝利を報告した直後、エディは息をひきとります。こちらの感動的な物語は「NHK特集 エディ〜老トレーナーと19歳の世界チャンピオン〜」に詳しいです。
久々に「遠いリング」も読んでみようと思います。
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# by the_leaping_hare | 2011-02-28 22:56 | Box

信じている拳

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「WBA世界Sフェザー級タイトルマッチ」(2011年1月31日@有明コロシアム)
王者:内山高志(ワタナベ)○TKO8回終了●同級4位:三浦隆司(横浜光)

過去の世界戦で完勝してきた内山がようやく強敵を迎えたかとも思ったのもつかの間、一度は発表した暫定王者ホルヘ・ソリス(メキシコ)との統一戦の交渉をまとめることができず、前座に出場予定だった日本王者の三浦を代替挑戦者に立ててのV3戦。三浦の日本王者としての実績には申し分なく、さらには強打者だけに、番狂わせの可能性がないわけではないが、失望感は否めない。この日、有明でのダブルタイトルマッチ。出場4選手が全員日本のジム所属となってしまった。

右構えの内山と左構えの三浦。小細工なしに真っ正面からプレッシャーをかけ、左強打を振っていく挑戦者を淡々と捌く内山。硬質の左ジャブで無防備な三浦の顔面を叩き、2回には早くも挑戦者の右目付近が変形を始めた。内山が完全にペースを握ったように思えた序盤戦。しかしその流れで迎えた3回、波乱が生じる。

そこまで少々距離のあるところから被弾覚悟で左クロスを振りながら入ってくる挑戦者に対し、打ち終わりにもジャブを当てる、立ち位置を変えるという丁寧な組み立てで対応していた内山が正面から左を直撃される。真下に落下するようなダウン。これほど硬質のパンチを打つ内山は打たれたらダメージを残す体質ではないかと思っていたが、冷静な対応でピンチを乗り切ったのはキャリアの為せる技か。

チャンスを迎えた三浦だったが、そこでも頼れるのは左の単発強打のみ。確かに強いパンチだが、打ち出しの距離も当てる距離も限定される。結局、追撃に失敗し、その後もジャブを浴び続けた。そして右目が完全に塞がった8回終了時のインターバル、賢明な判断でギブアップすることとなった。

ダウン時のダメージ、右拳の負傷をそれほど悟らせなかった内山はさすが。あまり世界戦ではお目にかかれない“左一本”でのKO劇。ソリスとの統一戦が困難なことが明らかになったのは残念だが、今後、魅力あるカードの実現を待ちたい。
テレ東の放送はSフェザー級戦は生中継、Sバンタム級戦はディレイ。レポーターに大橋アナが復活していたようだが、姿が映らなかったのは残念だった。
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# by the_leaping_hare | 2011-02-27 23:59 | Box

Can you hit the target?

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「WBA世界Sバンタム級タイトルマッチ」(2011年1月31日@有明コロシアム)
王者:李冽理(横浜光)●判定○同級6位:下田昭文(帝拳)

チャレンジャーが勝つには身体能力と序盤の強さを弾けさせたKO勝ちしかないかと思っていたが、そういった傾向の試合と言っていいかな。いや、結果は挑戦者の明白な判定勝ちなのだが。

戦術変更もマインドコントロールも効かず自滅癖のある挑戦者は、この王者が最も得意とするタイプではないかと思った。序盤の失点は想定内で挽回が可能。そういった展開も描けたが、試合は立ち上がりからリードした挑戦者がほぼ一方的に押し切った。つまり王者の落ち着きは、挑戦者の勢いを誘発させる結果を導いた。KOで終わらなかったのは王者の意地と、攻撃力の割には甘い挑戦者の詰めといったところだろう。おれの採点は3回がイーブン、7回のみ王者のラウンドで、108対119で下田の圧勝。

右構えの李と左構えの下田。積極的に攻めてくる下田の左ストレートの打ち終わりに李は右ストレートのカウンターを狙った。その試みは3回終了間際に一度だけ成功し、鮮やかなダウンを奪う。
立ち上がってきた時の下田の呆然とした表情からしてもう少し時間があればフィニッシュが可能だったかもしれないが、ゴングに断ち切られる。さらにこの場面の直前に李は最初のダウンを喫しており、下田の左クロスをカウンターでまともに浴びたダメージが少なからず残っていたことも痛かった。インターバルで回復した下田に4回開始直後にはあっさりペースを戻される。この回、李は故意ともとられかねないバッティングで下田の右目上をカットさせるが、流れは変えられず。以後は粘るだけのボクシングになってしまった。5回には不用意に左アッパーを打って出たところに画に描いたような左カウンターを合わされて大ダメージを負うダウン。8回にもバランスが崩れたところをスリップ気味に倒された。
李は右カウンターを打ちやすいように右拳をかなり低い位置で構えるが、下田のパンチ速度に付いていけず、これもディフェンスの破綻に繋がった。徳山昌守のような強い左ジャブでもあれば話はまったく違ってくるのだが。

下田はKOこそ逃したが、終盤も集中力を切らさず、大差判定勝ち。
入門の経緯からして帝拳の大半の選手とは異質の新王者。キャリア育成も帝拳特有のものから外れていたが、敗北の経験も含めてそれが大一番で活きたように思う。まだまだ穴も危うさも見えるが、それがまた下田昭文の魅力でもある。帝拳にベルトが増えるのは気に食わないが。暫定王者ギジェルモ・リゴンドウ(キューバ)との統一戦実現できないか。ミスター・ホンダ、お願いします。
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# by the_leaping_hare | 2011-02-26 23:59 | Box

輝く銀のヱビス様

輝く銀のヱビス様付きヱビスです。
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# by the_leaping_hare | 2011-02-25 04:29 | Food

井岡会長キューピー

2月11日、神戸。
「あしたのジョーピー」購入後、向かった先はポートアイランドのワールド記念ホール。会場限定の「井岡会長キューピー」を不覚にも買ってしまいました。一翔Tシャツよりも売れ行きは良かったように思います。
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それにしても見事な戴冠劇でした。よく考えてみると、デビューから全試合を会場観戦した選手が世界王者になるのは今回が初めてです。
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# by the_leaping_hare | 2011-02-24 02:50 | Box

あしたのジョーピー

「あしたのジョー」について語らせると少々長い熱狂的なファンである。
映画「あしたのジョー」の公開日も劇場で販売されているグッズをすべて買い占めても良かったのですが、一番の目玉商品である「矢吹丈トランクス」は既に持っている。では、何を買うかと考えてみたのですが、これだというものがありませんでした。結局、「あしたのジョーピー」なるものを買ってしまいました。
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# by the_leaping_hare | 2011-02-23 23:59 | Box

フィリピンの閃光

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「WBC/WBO世界バンタム級タイトルマッチ」(2011年2月19日@マンダレイベイイベントセンター)
王者:フェルナンド・モンティエル(メキシコ)●TKO2回2分25秒○元2階級王者:ノニト・ドナイレ(比国)

早くも本年度の“Knockout of the Year”確定でしょう。
長谷川穂積(真正)を撃破して軽量級最強の地位を固めつつあった3階級王者“Cochulito”モンティエルを“The Filipino Flash”ドナイレが僅か325秒で粉砕した。2回、モンティエルに右クロスを打たせておいてテンプルへの左フックのカウンター一撃。右膝から崩れたモンティエルは仰向けに倒れて四肢を痙攣。この状態から立ってくるモンティエルも凄いが、試合を再開したラッセル・モラはちょっと無茶だった。無反応のメキシカンにドナイレが左フックを打ち込んだところでストップ。寒気を覚えるようなKO劇でドナイレがマニー・パッキャオ(比国)、亀田興毅(亀田)に続く東洋人3人目の3階級制覇を達成した。
なお、使用グローブはモンティエルがレイジェス、ドナイレがエバーラスト。モンティエルのシューズはミズノだった。

両者とも1発目から強いパンチを当てることができるカウンターの名手。左フックを得意としているところも共通するが、タイプは少々異なる。タイミングでカウンターをとるモンティエルに対し、ドナイレはスピードでカウンターを合わせてくる。目の良さとパンチのスピードに絶対の自信があるからフェイントをさほど必要とせず、逆にフェイントに惑わされることもない。熟練の技巧でスピード差をなきものとする今回のような相手にも自在にカウンターを叩き込める。
初回に左ボディを見せておいて、2回に顔面への左フック一閃。そこまでそれほど出していないモンティエルの右クロスにカウンターを合わせてしまう反応速度とその破壊力。これは超人的とでも言うしかない。

偉大なる先人マニー・パッキャオが開拓したフィリピンからのアメリカンドリーム。その栄光への道を着実に歩むドナイレ。この勝利で実績、インパクトでもパッキャオが03年にマルコ・アントニオ・バレラ(メキシコ)を倒した段階を超えたか。
長距離から飛んでくる右ストレートと左フックが手に負えないため、ドナイレを攻略するには接近戦以外思い当たらないが、それも至難の業。ガードを固めて頭を下げて突っ込んだところで左アッパーを直撃されて終わりだろう。

昨年12月26日、さいたまSAでの「亀田祭り」を現地で観戦したドナイレ。ぜひとも日本のリングに上がってほしい。長谷川穂積、西岡利晃、下田昭文、亀田興毅と対戦相手としての“有資格者”は4人いる。日本選手の勝機はとても見出せないが、それでも見たい“世界”がある。
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# by the_leaping_hare | 2011-02-22 05:59 | Box

1967クロスカウンター

1月末に発売された「1967 クロスカウンター 雑草と呼ばれたチャンピオン小林弘」(太田出版、菅淳一著)を一気に読んだ。それにしてもカバーのモノクロ写真が渋すぎる。
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日本が生んだ6人目の世界王者である元世界Jライト級王者・小林弘氏(現・小林ボクシングジム会長)の半生を綴ったノンフィクション。ニッポン放送AD、出版社、広告代理店などの職歴のある54年生まれの著者は87年春に小林と出会ったと文中にある。原稿を読んだ片岡鶴太郎の推薦があり、この度、刊行されたということだ。

「世界王者・小林弘」はおろか「解説者・小林弘(72〜88年まで日テレで解説を担当)」でさえもリアルタイムでは知らないおれのような世代にとっては驚くような話がたくさん出てきて惹き込まれた。父親を知らず貧困を極めた幼少期、エキセントリックなジム会長、僅か10日やそこらのインターバルで繰り返されるハードなマッチメイク、史上初の日本人同士の世界タイトルマッチ、6度の防衛、75戦の途方もないキャリア、日本のリングで初めてレイジェスのグローブを使用した選手、雑草の男、クロスカウンターの名手。単に事象を記しただけでなく、そこに本人しか知り得ないエピソードが絡んでくるので読み応えがある。

題名の「1967」という数字は小林が世界Jライト級王座を獲得した年。
ここでいう「クロスカウンター」とは、オーソドックス同士が対戦した場合、相手の左パンチを左にヘッドスリップして外すと同時に相手の左肩越しに打ち込む右パンチ。これは小林の必殺パンチであり、メキシコの名伯楽ルペ・サンチェスとの出会いがあった66年夏の中南米遠征で会得したものとされる。

67年12月14日、小林弘が蔵前国技館で“精密機械”と呼ばれた王者・沼田義明(極東)を12回1分56秒KOで沈めて世界王者となった翌日の15日、「週刊少年マガジン」にて「あしたのジョー」の連載が始まる。
68年5月、小林は梶原一騎の自宅に招かれ、クロスカウンターについて教えを請われる。そして、矢吹丈の必殺パンチが生まれた。
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# by the_leaping_hare | 2011-02-21 08:18 | Box